築35年を経過した木造2階建ての自宅は、建具の開閉が困難だったりとあちこち不具合が生じてきています。この家は亡き父が設計したのですが、浴室と1階トイレの上部の壁だけが漆喰で塗ってあります。おそらく湿気の多い部屋だけは、漆喰塗りにしたのでは、と想定していますが今となっては確かめようがありません。
 
  2階トイレの壁のビニルクロスはみすぼらしく剥れ始めていたり、浴室のタイル張り部分や、照明器具の金属部分にはカビやサビが出てきていますが、漆喰が塗ってある壁にはクラックもカビもなく、ここだけが不思議と完成当時の姿を保っています。漆喰壁が適度な調湿をすることは確かで、かつ抗菌効果もあるように見えます。
 
   
 

 京都西賀茂に2006年3月に完成したY邸。その玄関扉は奥様Rさんが幼少の時から住んでいた神戸の家から移設しました。神戸の家の解体とこの家の新築がたまたま重なったために、移設が可能となり、Rさん運転のワゴンカーで建設現場に運び込みました。鍵の空け方、開き方、その重さなど全く変わらない20数年慣れ親しんだ扉で、新しい生活が始まりました。鍵を空けるたびにいつもの我が家に帰った実感が湧くそうです。
   


 
葉山町のN氏邸の上棟に立ち会いました。木造在来工法の場合、一日で建物全体の主要構造材を組み上げ、場合によっては屋根の下地材まで張ってしまいます。突然建物の全容が現れる劇的なシーンで、積石造建築とは違った日本独特の場面です。屋根に幣串という神様が天から降りてくる目印を掲げ、四方の柱にお神酒、塩、米を撒いて建物の無事完成を祈願し、工事関係者に労いをします。

 このN氏邸では大黒柱にご家族全員で名前を書いて上棟の記念としました。これからこの柱が仕上げ材で覆われるまで、現場の職人さんたちはいつもこの「みなさんありがとうございます」の字を見て仕事をするわけです。
 
   
 

 2005年6月下旬にモンゴルへ蝶の採集旅行に行ってきました。草原の空気は限りなく乾いていて、はるか遠くの山並みや空に浮かぶ雲の輪郭がシュールレアリズムの絵のようにはっきり見えます。真っ直ぐに限りなく続く砂の道と電線だけが自分のアイデンティティーを唯一保証してくれるものですが、その乾いた草原に一人立っていると、段々に自分の肉体が小さくなってゆき、しまいには精神だけが遊離しているような不思議な錯覚に陥りました。
   


 今回の旅行では7泊中5泊、このゲルに泊まりました。直径4.8m、高さ2.4mの組立て式テントは、モンゴルの風土にとてもマッチした優れた住居であると実感しました。メインの2本の支柱は大地に根ざすことなく地表に乗せ、表皮の防水布は回りを重石を結んだロープでアンカーしてあり、地面を掘ることは全くしません。出入り口は南面に1箇所のみで背中を丸めて出入りします。中は意外と広く、真ん中に薪ストーブとテーブルがあり、標準的なものは周りにベットが4つ置かれて、とても落ち着く空間です。昼間は外周の覆いの裾をめくり上げ乾いた空気を取り入れ換気をし、夜は閉じて暖気が逃げないようにします。長い年月を経て、無駄をそぎ落とした、究極のモビルハウスです。
 
   
 

 絵画にサイン、自動車にエンブレム、洋服にタッグ、等が付いていますが、建築物は見ただけでは誰が作ったか等わかりません。そこで、建物の目立たない場所でそれでいて誰からも見える位置に、完成年と設計者、施工者の名前を刻印した銘板を取り付けています。宣伝効果はほとんどありませんが、社会的責任を再認識するために自費であえて付けさせてもらっています。
 



 
洋食器はナイフ、フォーク、スプーン、はたまた肉用ナイフ、魚用と多種多様ですが、和食は箸一膳で事足ります。スローな道具の代表選手と言えます。この箸は1986年に神戸に単身赴任している時に、京都の老舗箸店で買った白木の箸です。材質は南天と思います。18年の間毎日使っていますが、ささくれることも折れることなく、かえってしっとりと手に馴染むようになってきました。私が死ぬまで使えると思います。このような日本文化を誇りに思います。
 住宅もこのようなスローな思想で作ると、意外と気持ちよく長持ちするものになります。

 
   
 

 いつも、クリスマス時期になると思い出すのが、友人JT君のカセットです。JT君は芸大時代の同級生で音楽学部フルート科卒です。
 1988年12月に彼の自宅の設計の依頼で会った時に、彼の自作自演の10数曲を録音した1本のカセットをプレゼントしてくれました。彼の家族への愛情が沢山詰まったその曲々を聴いて、それに応えるべくスケッチを何枚も描いたものです。
 そして、いよいよ住宅が完成して引越しの前日の夜、JT君と二人で新しい家の下見に行った時、がらんとした音楽室にグランドピアノだけが先に運ばれていて、彼が立ったまま突然1曲私のために弾いて歌ってくれました。ビートルズの"Let it be"でした。私は続きの和室に座って聴きましたが、吹き抜けを通して家全体に響き渡ります。弾き終わると彼は一言「寺さん、よく鳴るよー」。設計した私にとって、最高の労いの言葉でした。
   


 
初秋に自宅近くの石神井公園を散歩していてふと見上げると、うっそうとした欅の樹々の間に亀裂状の空が見えました。それぞれの樹がお互いに遠慮しながらも、空に向かって精一杯に枝葉を張っているように見えます。この微妙な幅の連続した隙間を見ていると、強い樹が弱い樹を占領しようとているようには見えません。
  英国人ダーウィンの進化論で「弱者は淘汰され強者が残り進化する」と云うのは直感的に間違いと感じました。自然界はもっと懐が大きくおおらかな様です。そうでないと、こんなに多様な種がバランスよく共存できる訳がありません。国境もこんな"亀裂"になればよいです。
 
   
 

 
当社は基本設計の段階で1/200〜1/100のスケールのものを、場合によっては複数、設計が固まった段階で1/100〜1/50の詳細で内部まで表現した模型を作ります。また、工事が始まってからも、部分的に1/20〜1/10の検討用模型を作ることもあります。スケッチを書いたりパースを描くなどかなりの検討をして図面をまとめますが、模型を作ると不明な点に気づいたり、新たなアイデアが湧いてきたりして、より完成度の高いものになります。
 クライアントとの打ち合わせにもその模型を使って、説明や相談をしますが、何枚もの図面より1つの模型の方がわかりやすいのは確かです。一時、PCを利用した3D画像での立体表現を試みたのですが、入力の手間とその効果を考えると、ローテクではありますが、手作業で模型を作るほうがはるかに効果的なことがわかりました。
   


 
誰でも過去に過ごした自分の家の部分的な記憶は残っているようです。それは、廊下のひんやりしてつるっとした床板の感触であったり、秋の深夜薄暗い厠で聞いた虫たちの声であったり、和室にぶら下がった半透明の電球カバーだったり、様々な記憶があると思います。
 家を取り壊す時、新しい家に使えるものを何か探します。それは工事費の節約にはならなく、むしろ外す手間とかそれを組み込む手間を考えるとかえってコストがかかります。しかし、生命を持ったものがDNAを通して何世代にも命を引き継いでゆくように、家の記憶を引き継いでゆくための拠り所を何か一つでも残したい気持ちからです。石垣市の名蔵の家(2002年)の玄関には、建て主のUさんが杉並永福町の家で50年以上も使っていたレトロなブラケットが海を渡り、再び明かりを灯しています。


 
   
 

 
1988年晩夏、建築主のK氏夫妻と敷地に立った時、南端の見上げるようなこぶしの老木の葉に風がさわやかに抜けていました。3人はこの樹だけは残そうと話しました。しかし、現場が始まり、その基礎工事の際に太い根をかなり切ってしまったので枯れを心配していましたが、翌年の春に真っ白な花を目一杯咲かせた時は3人で喜びました。
 K氏一家が引越しをした翌日、玄関ポーチに大根が3本置いてあり、奥さんが不思議に思っていたところ、隣接の畑をやっている地元のお百姓さんが挨拶代わりに下さったそうです。そのお婆さんが幼い頃から見ていた、こぶしの樹が残ったことへの気持ちだったそうです。完成して15年が経ちますが、今年も満開の花を咲かせたそうです。
   


 家やビルを新築する時にほとんどの方は地鎮祭を行います。一般的にはその土地の氏神様の神社の宮司さんに来てもらって、お払いをしてもらいますが、これは神式に拘らなくても、キリスト教式でも仏式でもかまいません。要は建主の気持ちの問題です。
 神式は、祭壇をしつらえて、天から神様に降りてきてもらって、お酒とご馳走を振舞って、ここに家を建てますがどうかよろしくと祈願する、いわゆるご報告と接待の儀式です。沖縄県石垣島で経験した仏式もほとんど同じ精神で、神仏混合の南国的なおおらかな式で「共生」の思想です。
 キリスト教式は、牧師さんまたは神父さんが地面に聖水と塩を撒き、その土地に棲む邪悪な悪魔を追い払う儀式です。東洋の「共生」とは反対の「征服」の概念が垣間見えます。
 
   
 

 朝霞の家の内装工事中の現場へ行くと、塞がれるボードの裏側に、大工さんが自分の名前を書いていました。落書きと言えばそれまでですが、おそらく自分のした仕事への誇りから、名を残したかったのでしょう。
 そこで、ステンレス板に、建主のご家族はもちろん工事に携わった人全員の名前を五十音順に刻み込み、工事関係者への感謝の気持ちを込めて道路から見える基礎に取り付けました。大きなビルでは、建物の1階玄関脇に御影石の立派な定礎板がはめ込まれますが、それに負けないくらい素敵な定礎板になりました。
 その後、逗子の家でも同じような銘板を付けました。
   


 千葉の家で、現場も終盤に近づき、1階応接室のガラス扉の押板に何を選ぶか悩んでいました。各社カタログを見てもぴったりの物がありません。建物の中で一番手に触れる部分でもあり、金属でもプラスチックでもなく、優しい素材として木製のものを探しますが、イメージに合うものは見つかりません。
 ふと、現場の廃材の中に、床柱を切った70cm位の残材が転がっていました。ぽんと手を打ちその場で決定。その材を半分にカットしてガラス扉の両側から挟みこみました。皮付きのすべすべした立派な床柱の一部ですから、品質的にも最高です。こんなアドリブも現場の楽しみの一つです。

 

[ last update 2002-07-01 ]
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